橋の下から拾ってきたモノ

昨日、今日と、暑いですね。

でも、今年の夏は、雨が多く、涼しい気がします。

ところで、最近、「自分は、本当に、この親の子なんだろうか?」と不信感を抱く人が目につきます。

特に、10代20代の若い人。

そして、自殺を考えたり、実際に、自殺未遂している。

実は、ボク、幼い頃に、「ボクは、どこから、生まれてきたの?」と、母に聴いたことがあります。

そして、その時、母は、「橋の下から拾ってきた。」と応えました。

44歳になったボクが、今でも、覚えているので、幼いながらも、とても、寂しく感じ、ショックだったのでしょう。

「ボクは、

お母さんのお腹から、

生まれてきたんじゃないんだ…。」

と。

ちなみに、「橋の下から拾ってきた。」という表現は、韓国にもあります。

韓国では、タリ(橋)ミッテソ(下から)カジョ(持って)ワッタ(きた)と言います。

たぶん、性に対する恥じらいから、このような表現が用いられるようになったのだと思うのですが、

日本と韓国では、大きな違いがあります。

それは、韓国では、「橋」と「脚」どちらもタリと言うところです。

なので、韓国の子どもは、途中で気づきます。お母さんは「橋」ではなく、「脚」と言ったのだと。

だから、自分は、「お母さんのお腹から、生まれてきた」と知り、安心するのだと思います。

また、自分が「お母さんのお腹から生まれた」と思えない大きな理由に、出産に立ち会えていないということがあるのだと思います。

昔は、自宅で出産していたので、自分の母親でなくても、親戚やご近所さんの出産を目の当たりにしたり、目の当たりにした友だちから、その様子を聴いたりする機会が、今より、ずっと、多かったのだと思います。

だから、自分も、「お母さんのお腹から生まれてきた」と確信し安心できたのだと思うのです。

「うまれる」読みました。

感動。

you tubeでも、少し、観られます。