こんにちは。
コリトルのNOBUです。
いつも、お世話になり、ありがとうございます。(^_^)
先日、適当に花の種をまいたら、花が咲きました。(^_^)
パンジーなんだけど、何だか、普通のパンジーと違うような…。
(-_-)
ところで、私たちは、日常、何気なく、「夢を観た。」とか、「夢を観る。」という言葉を使っていると思います。
決して、「夢を創った。」とは、言わないと思うのです。
「でも、事実、私たちは、夢を創っています。」
なんて、言うと、「鈴木は、また、変なことを言い出した。」と言われそうなのですが…。
別な表現をすると、私たちは、普段、何の疑いもなく、あたかも映画館で映画を観るように、「夢を観た。」と言っていると思うのです。
そして、好きな俳優さんが映画に出てきたかのように、「憧れの誰々さんが、夢に出てきたぁ!」なんていう表現をしているのではないかと思うのです。
でも、よく考えてみると、その夢は、誰が創ったのでしょう?
「えっ、誰が夢を創った? 憧れの人? 父? 母? 彼氏? 彼女? 旦那? 妻? 子ども?
…。
えっ、誰が私の夢を創ったの?」
「私たちは、夢を観ているのではなく、夢を創っている。
『これって、すごいことだ!』」と感じるのは、やっぱり、僕だけでしょうか?
(^_^;)
なぜ、すごいのかを説明しようとすると話が長くなってしまうのですが、
僕にとっては、人生を大きく変えるくらいインパクトのある気付きでしたので、シェアできたらと思いまして…。
(^_^)
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みなさまの、健康とお幸せを
お祈り申し上げます。(^_^)