ふみサロにお邪魔しました

 

こんにちは! ”のぶさん” です!

いつも、お付き合いくださり、ありがとうございます!

 

残暑が厳しいですね。

 

 

 

実は、

 

「ちょっとした隙間時間を使って、

 

文章の書き方を学んでみたいなあ」

 

と思いまして、

 

城村典子先生が主催されている

 

ふみサロ にお邪魔させていただきました。

 

( 詳しくはこちら右矢印なぜ、「ふみサロ」で文章を学ぶとファンを獲得するのか

 

 

 

 

 

 

まず、城村先生から「お題」をいただき、800字程度のエッセイを書きます。

 

すると、城村先生より、そのエッセイについてのコメントをいただけます。

 

さらに、

 

「書くこととはどういうことなのか?」

 

「書くことの素晴らしさは?」

 

「どうすれば、うまく伝えられるの?」

 

「どうすれば、読んでもらえる?」などについても、

 

分かりやすく教えていただけます。

 

もし、ご関心を持たれましたら、チェックしてみてくださいね!

 

 

 

ちなみに、1回目のお題は、

 

自分の人生を折れ線グラフで書いてみる。

 

そして自分が大切にしている価値観を3つ見つける。

 

 それらについて、800字程度で書いてみる」でした。

 

 

 

 

もし、今、お暇がありましたら、暇つぶしに、

 

僕の作品も読んでみて頂けたら…。

 

 

 

めちゃめちゃ、恥ずかしいんですけど …。

 

 

 

 

 

「愛と希望と幸せと」

 

ボクは頭が硬い。

 

だから、白か黒かの二者択一でしか生きられなかった。

 

しかし、白でも幸せになれず、黒でも幸せになれなかった。

 

そして、そのことに気づく(つまり、自分の頭が硬かったことを認める)までに40年がかかった。

 

ボクは0歳から20歳まで黒を選んだ。

 

言い換えると、自分中心にエゴイスティックに生きた。

 

人との競争に勝ち、人より優れ、経済的、社会的に優位になることで幸せになれると思った。

 

「もし、負けたら、奴隷のように肉体的に過酷な労働をし、貧しい生活を強いられる」という恐怖心、そして、ボクの両親がその生き方を後押しした。

 

しかし、その生き方をしてボクが得たものは、強い自己嫌悪と自殺衝動だった。

 

自分のことを、「ただ本能だけに従って生きる弱肉強食の動物」としか思えなくなった。

 

つまり、自分に人間らしさを見いだせなくなった。

 

しかし、20歳の時に分岐点を迎える。

 

三浦綾子の本に出会い、キリストに倣う生き方に舵を切った。

 

つまり、白を歩むことを決心し、右の頬を打たれたら、左の頬を出すという生き方、もう少し具体的に言うと「何があっても相手を許し、何があっても相手に責任をなすりつけず、代わりに自分がその責任を負う」という自己犠牲の生き方を選択した。

 

しかし、それから20年が経ち、残ったものは、幸福ではなく、苦しさと貧しさ、体の不調だった。

 

そんな痛い目にあって、ようやくボクの石頭が少し柔らかくなった。

 

40年の人体実験の末、ボクが選んだのは、黒の生き方でも白の生き方でも無い「無」の生き方だった。

 

すると、幸せや希望を感じられるようになり、はじめて、死にたいと思わなくなった。

 

それは、木や森が好き勝手に生育しながら、酸素という恩恵を人間に与えるような自然の生き方だった。